2017年02月04日
七つ墓~ナナチバーカー~
ハイサイこんにちは~!!
2月になっても一向に寒くならない沖縄で~す。
ならば、実力で寒くなろうという事で少し不思議なお話をします。
僕の育った那覇市牧志という地域では昔から語り継がれている話です。
「七つ墓~通称:ナナチバーカー」
この話は世界中によくある話と言われていて、「子育て幽霊」、「飴買い幽霊」とも呼ばれているのではないでしょうか。
僕の育った地域の大筋は、「美栄橋駅のすぐ近くに幽霊伝説と地名のゆらいになった岩山があり、この岩山には、七つの墓が並んでいたことから「七つ墓(ナナチバーカー)」と呼ばれていました。昔、この岩山の近くのお店に子供のお菓子を買う女性が度々現れましたが、その女性が置いていくお金は翌日には紙(紙銭:ウチカビ)に変わるので、不思議に思った店の店主がある日女性の後をつけて行くと、墓の中に入って行って、そのお墓の中を覗くと、死んだ母親の側で赤ん坊が飴をしゃぶっていた。」という様なあらすじになります。
子供の当時は、其処ら中に禿山があり土団子戦争や秘密基地を作ってよく遊んだものです。しかし、子供達の間では暗黙の了解で決してあそこでは遊んではイケないという掟というかルールみたいなものがあったのを覚えています。
そんなんで時も経ち大人になった頃に、たまたま歴史に詳しい先輩方や、沖縄本の文筆家などから聞いた話というのが驚きで、実は「七つ墓」は幽霊話と語り継がれてきてたが、何とあそこのお墓は聖地なんだという話を聞かされました!
ちょっと道を逸れますが、エイサーを創った偉人というのが、儀間真常と福島県浄土宗の袋中上人が有名ですよね。実はもう一人いるのをご存知でしょうか?その方の名前は「テーラシカマグチ」という人物です。エイサー功績に付いての詳しい史実が多く残されているのですが、スミマセン今回は省きますね。
また彼には凄い霊力があり、あの世とこの世を行き来できる能力があったとも云われています。
話を戻します。
何とそのテーラシカマグチが、まさにあの「七つ墓」で産まれた人物だったと・・・。
あの世とこの世を行き来できる能力というのは、ルーツを七つ墓に持っているからこそだったのではないでしょうか?霊的カリスマ性もあり、功労者でもあるテーラシカマグチの生誕地を信仰の拠所にしたでしょうし、御嶽にもなってたのではないか。時代も移り変わり現代になると合理的な考え方しかできない人達が増えてきますよね。そこで編み出されたのが「幽霊話」だったのではないのか、聖地を荒らされたくない想いからの知恵だったのではないでしょうか?

Ango
2月になっても一向に寒くならない沖縄で~す。
ならば、実力で寒くなろうという事で少し不思議なお話をします。
僕の育った那覇市牧志という地域では昔から語り継がれている話です。
「七つ墓~通称:ナナチバーカー」
この話は世界中によくある話と言われていて、「子育て幽霊」、「飴買い幽霊」とも呼ばれているのではないでしょうか。
僕の育った地域の大筋は、「美栄橋駅のすぐ近くに幽霊伝説と地名のゆらいになった岩山があり、この岩山には、七つの墓が並んでいたことから「七つ墓(ナナチバーカー)」と呼ばれていました。昔、この岩山の近くのお店に子供のお菓子を買う女性が度々現れましたが、その女性が置いていくお金は翌日には紙(紙銭:ウチカビ)に変わるので、不思議に思った店の店主がある日女性の後をつけて行くと、墓の中に入って行って、そのお墓の中を覗くと、死んだ母親の側で赤ん坊が飴をしゃぶっていた。」という様なあらすじになります。
子供の当時は、其処ら中に禿山があり土団子戦争や秘密基地を作ってよく遊んだものです。しかし、子供達の間では暗黙の了解で決してあそこでは遊んではイケないという掟というかルールみたいなものがあったのを覚えています。
そんなんで時も経ち大人になった頃に、たまたま歴史に詳しい先輩方や、沖縄本の文筆家などから聞いた話というのが驚きで、実は「七つ墓」は幽霊話と語り継がれてきてたが、何とあそこのお墓は聖地なんだという話を聞かされました!
ちょっと道を逸れますが、エイサーを創った偉人というのが、儀間真常と福島県浄土宗の袋中上人が有名ですよね。実はもう一人いるのをご存知でしょうか?その方の名前は「テーラシカマグチ」という人物です。エイサー功績に付いての詳しい史実が多く残されているのですが、スミマセン今回は省きますね。
また彼には凄い霊力があり、あの世とこの世を行き来できる能力があったとも云われています。
話を戻します。
何とそのテーラシカマグチが、まさにあの「七つ墓」で産まれた人物だったと・・・。
あの世とこの世を行き来できる能力というのは、ルーツを七つ墓に持っているからこそだったのではないでしょうか?霊的カリスマ性もあり、功労者でもあるテーラシカマグチの生誕地を信仰の拠所にしたでしょうし、御嶽にもなってたのではないか。時代も移り変わり現代になると合理的な考え方しかできない人達が増えてきますよね。そこで編み出されたのが「幽霊話」だったのではないのか、聖地を荒らされたくない想いからの知恵だったのではないでしょうか?
Ango
Posted by ryukyu piras at 18:53│Comments(0)
│ぴらす的日々